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文檔簡介
1、<p><b> 本科畢業(yè)論文</b></p><p><b> ( 20_ _屆)</b></p><p><b> 日語</b></p><p> 日本語における漢字の役割と影響</p><p> 外語學(xué)院學(xué)生畢業(yè)論文獨(dú)創(chuàng)性聲明</p>&
2、lt;p> 本人鄭重聲明:所呈交的畢業(yè)論文是本人在導(dǎo)師的認(rèn)真指導(dǎo)下,獨(dú)立進(jìn)行研究工作所取得的研究成果。除文中已經(jīng)注明引用的內(nèi)容外,本論文不包含其他個人或集體已經(jīng)發(fā)表的學(xué)術(shù)成果,也不包含為獲得浙江萬里學(xué)院或其它教育機(jī)構(gòu)的學(xué)位證書而使用過的材料。對本文的研究做出重要貢獻(xiàn)的個人和集體,均已在文中以明確方式表明。如本文涉及上述聲明及任何知識產(chǎn)權(quán)糾紛,本人將承擔(dān)一切責(zé)任。</p><p> 學(xué)生簽名:______
3、____日期:__________</p><p> キーワード:漢字 中國語 日本語 役割 仮名 國字 影響</p><p><b> 要旨</b></p><p> 現(xiàn)代中國語にせよ、現(xiàn)代日本語にせよ、漢字が重要な地位がある。昔から、中國と日本は政治、経済,文化などの交流が頻繁に起きていて、このような交流は言語文字の方面と非常に密接な
4、関係を結(jié)んだ。日本は古代で文字がなく、中國から漢字が日本には入った後に次第に形成された。日本社會と漢字の関係を維持している。そのために、漢字は日本語の発展に重要な役割を擔(dān)うもので、そして意義の影響を受けた。</p><p> そこで、漢字が日本での歴史について紹介してほしい。次は漢字が日本語言語學(xué)での役割について考察する。中國での日本から來た漢字をめぐって、日本人は漢字をもとにした仮名を創(chuàng)造して、そして漢字の特
5、徴によって「國字」を作り出したから、漢字の日本語言語學(xué)での役割を見つけた。同時に漢字の伝來日本語の音聲システムを充実する。さらに漢字が日本文化や日中交流に影響を與えることについて考察する。日本で漢字を?qū)毪筏郡ⅳ?、日本の文學(xué)にも盛んになってきた。日本人も自分の姓氏を持っていた。日本人が自分で創(chuàng)造した新しい漢字も中國に影響を與えた。</p><p><b> 摘 要</b></p>
6、;<p> 不管是現(xiàn)代的中文還是日文,漢字起占著重要的地位。從很早以前開始,中國和日本在政治、經(jīng)濟(jì)、文化等方面就有頻繁的交流,這樣的交流與語言文字等有著非常密切的關(guān)系。日本在古代沒有文字,從中國的漢字進(jìn)入日本之后逐漸有文字形成。日本社會和漢字一直維持著關(guān)系。為此,漢字在日語的發(fā)展中起著重要作用,并具有重大的影響意義。</p><p> 在此,介紹了漢字在日本的歷史。其中可以看出日本人對于外來文化
7、是有選擇性地吸收。其次考察了關(guān)于漢字在日語語言學(xué)中的作用。圍繞日本引進(jìn)了漢字之后,日本人在漢字的基礎(chǔ)上創(chuàng)造了假名,并根據(jù)漢字的特征創(chuàng)造了國字,在讀寫方面的問題,可見漢字在日本語言學(xué)中的作用。也正是漢字的傳入,才充實(shí)了日文的語音系統(tǒng)。漢字的導(dǎo)入,使得日本的文學(xué)進(jìn)一步地發(fā)展,同樣也使得日本人擁有了姓氏。根據(jù)日本人自己創(chuàng)造的新漢字,在中國也有日本人造的漢字,圍繞這些來研究漢字對中國詞匯或中日交流方面的影響。</p><p&
8、gt; 關(guān)鍵詞:漢字 中文 日文 作用 假名 國字 影響</p><p><b> 目 次</b></p><p> はじめに……………………………………………………………1</p><p> 1 漢字伝來の歴史…………………………………………………1</p><p> 2 漢字の役割…………………………
9、……………………………2</p><p> 2.1仮名形成への促進(jìn)…………………………………………………2</p><p> 2.2 國字形成への促進(jìn)…………………………………………………4</p><p> 2.3 音聲への役割…………………………………………………… 5</p><p> 3 漢字の影響…………………………………
10、……………………6</p><p> 3.1 漢字が日本文化への影響………………………………………… 6</p><p> 3.1.1日本文學(xué)からみる漢字の影響…………………………………………6</p><p> 3.1.2日本人の姓氏からみる漢字の影響…………………………………… 7</p><p> 3.2中國語への影響……………
11、………………………………………7</p><p> おわりに…………………………………………………………… 8</p><p> 參考文獻(xiàn)……………………………………………………………10</p><p> 日本語における漢字の役割と影響</p><p><b> はじめに</b></p><
12、p> 現(xiàn)代中國語にせよ、現(xiàn)代日本語にせよ、漢字が重要な地位がある。昔から、中國と日本は政治、経済、文化などの交流が頻繁に起きており、このような交流は言語文字の方面と非常に密接な関係を結(jié)んだ。日本は古代で文字がなく、中國から漢字が日本には入った後に次第に形成された。漢字は日本語の発展に重要な役割を擔(dān)うもので、そして有意義な影響を受けた。</p><p> はじめに漢字が日本に伝來の歴史を紹介して、日本は外
13、來文化を吸収した態(tài)度を考察する。次は漢字が日本語言語學(xué)での役割について考察してみる。その中で、漢字が仮名と國字の形成を促進(jìn)したことから、日本の創(chuàng)造力を考察する。日本人は漢字をもとにして仮名を創(chuàng)造して、そして漢字の特徴によって「國字」を作り出した。日本人は外來の物事を受け入れる時、そのままで全部吸収しなくて、自國の場合によって、適當(dāng)に変えて吸収する。さらに漢字が日本文化や中國語に影響を與えることについて考察する。日本文學(xué)と日本人の姓氏から
14、漢字の影響を考察する。日本人が自分で創(chuàng)造した新しい漢字によって、中國での日本から來た漢字をめぐって、漢字が中國語の単語や日中交流の影響についてを考察する。日本社會と漢字の関係を維持している。</p><p><b> 1.漢字伝來の歴史</b></p><p> 西暦3世紀(jì)前の日本は自分の言葉があって、自分の文字がなかった?!笣h字は主に中國の南北朝時代から日本に大
15、規(guī)模に伝わった中國大陸の人民が日本に渡り鳥でつれたのだった?!?lt;/p><p> 「據(jù)《后漢書》記載,在1世紀(jì)左右日本就已經(jīng)和后漢之間有了交往。根據(jù)1784年在日本福岡縣糟屋郡志賀島發(fā)現(xiàn)的刻有“漢倭奴國王”的金印推測,這是當(dāng)時一些南方小諸侯國前去漢朝朝貢時,漢光武帝所賜。」日本人はこの時期に漢字を始めたのだが、まだ漢字の性能を正確に理解していなかった?!冈谌毡灸瘟伎h葛城郡新山出土的模仿“王莽鏡”制造的“方格四神
16、鏡”就因缺乏對漢字的真正的認(rèn)識,將原鏡中刻的十二支的順序搞錯了?!?jié)h字が正式の文字として用いられる前に日本は話し言葉だけで書き言葉がない水準(zhǔn)にとどまった。中國から流れ込んだ青銅器は多分神器にして祭られるだけにすぎなかった。その時日本にはまた書き言葉を受け入れる文化の雰囲気がなかったことを説明する。4?5世紀(jì)に、大和政権の樹立に従って、隣國と交際するので、外交辭令を書いて各種事件を記録して、そして、漢字はすぐ日本の上層社會に入ってきた?!?/p>
17、古事記』と『日本書記』の記載によれば、日本応神天皇15、16年、百済(朝鮮半島の奴隷制の國)王は阿直岐を派遣して天皇に二良馬を獻(xiàn)上して、さらに王仁が太子菟道稚郎子に経典を教えることを天皇に推薦した。百済の王仁はかつて『論語』10</p><p> 6世紀(jì)から正式的に漢字を習(xí)い始めって、本當(dāng)の漢文の勉強(qiáng)を前提にした學(xué)術(shù)界がだんだん形成した。これから、漢字がだんだん日本社會に受け入れらた。7、8世紀(jì)、日本人が書いた
18、漢詩と漢文が珍しくないことからして、漢字が日本の一部分の知識人に把握された。日本と中國、朝鮮の文化交流が活発になると、日本の一部分貴族、文人と商人が次第に漢字,漢文の書きと読む能力を持ていることになった。日本人が漢字、漢文の學(xué)習(xí)が多分に文獻(xiàn)を通じて學(xué)んだ。特別に、唐朝の律令制度を真似して、大學(xué)を設(shè)立した以降、教科書は仏教の典籍である。當(dāng)時、『文選』などの詩も日本人に愛されて、仏教を通じて日本に伝わられた語彙がかなり多かった。これを見て日
19、本人が新しい物を觸れた時、彼らは排斥しなくて、かえって自國に適合したことを吸収した。そのうえ吸収したものを十分に利用したことを発見した。</p><p> 中日両國の交際につれて、漢文の典籍が常に日本に伝わって、中國各時代の漢字、中國語、文化知識が絶えなく日本人に吸収されて、日本文化と緊密に融合した。漢字が日本社會の発展に欠かせないものだ。</p><p><b> 漢字の役
20、割</b></p><p> 2.1仮名形成への促進(jìn)</p><p> 日本語の仮名は平仮名と片仮名がある。古代の日本は文字がなかった。中國の隋代、漢字が大量に日本へ伝わって、日本はシステムに漢字で自分の言葉を記載した?!缸畛酩藵h字が表音のシンポルとして使用されて、つまり日本語はいくつかの音節(jié)があって、いくつかの漢字が使用された。その後、これらの漢字が次第に仮名になった?!?/p>
21、仮」すなわち「借り」、「名」すなわち「字」だった。漢字の音と形だけを借りて、その意味も用いなくて、だから「仮名」と呼んだ。仮名が借用した同音語が多くて、漢字の筆畫も多くて、あまり便利でなくて、その後仮名を簡略化しつつあって自分の文字を創(chuàng)造して、すなわち今の「仮名」だった?!?lt;/p><p> 奈良時代の末から、多くの筆畫の漢字を次第に簡略化された。同時に漢字の筆記體が現(xiàn)れた。例えば、安→あ、加→か、左→さ、太→
22、た、奈→な、波→は、己→てなどなど?!缸畛酩说菆訾筏郡韦稀汗攀掠洝?、『萬葉集』、『日本書紀(jì)』などの奈良時代にの文獻(xiàn)の中で、その中で『萬葉集』で使われたのが一番多いことから、「萬葉仮名」と呼んだ。萬葉仮名が音仮名、訓(xùn)仮名、戯書に分類した。音仮名は漢字の音読で音節(jié)を表示した。例えば「夜麻(やま)」「可波(かは)」。訓(xùn)仮名は漢字の訓(xùn)読で音節(jié)を表示した。例えば「夏樫(なつかし)」「八間跡(やまと)」。戯書は萬葉仮名で言語の表現(xiàn)を補(bǔ)助した言葉遊び
23、だった。例えば文字のなぞかけ性を帯びた「山上復(fù)有山(出)」。それから、日本人は萬葉仮名を筆記體で書いて、草仮名の段階を経て、それから平安時代に一層今の平仮名にかわった?!工长韦长趣橐姢毪取⑵絹⒚献畛酩藵h字を変形したことだ。</p><p> 平仮名と同じで、片仮名は上古時代に発源した。しかし、平仮名は漢字の筆記體の変化によれば形成されて、片仮名は漢字の簡略化によれば形成された?!钙桨矔r代初期、奈良の僧侶は仏
24、教の経典を読解しなければならないので、簡體仮名を使って始また。「片」というのは不完全の意味だので、最初からこれは補(bǔ)助的な文字の屬性を持っていた。その簡略化の原則は、漢字の最初の筆畫を取って「奈→ナ」、あるいは最後の筆畫を取って「奴→ヌ」、中の筆畫ではなかった。そこから平安朝後半、辭書の漢字が片仮名で発音を示した。平安末から鎌倉時代まで「紀(jì)元十二世紀(jì)から十三世紀(jì)まで」の時期、注釈書と小説集が漢字と片仮名で書いて始まった。あの時、片仮名は正
25、式に世間に発表された?!?lt;/p><p> このことから見ると、片仮名も最初に漢字の変形したものだ?,F(xiàn)代日本語の基準(zhǔn)文體「漢字仮名交じり文」の中で、主に平仮名と漢字を使って、外來語(外國語、外國の人名と地名を含む)とその他のいくつかの特殊な単語は片仮名で書くことになっている。。仮名の形成には漢字が日本語に伝わったことを設(shè)立したからだ。そして、漢字が仮名の形成過程で大きな役割を果たした。この過程で、日本人は絶えず
26、漢字を簡略されて、それを自己に便利した文字に変わられた。このことから日本人は外來の物事を受け入れた時、そのままで全部吸収しなくて、自國の場合によれば、適當(dāng)に変わって吸収したことが分かった。</p><p> 2.2 國字形成への促進(jìn)</p><p> 「國字とは和字、和俗字、本邦製作字、和製漢字などともいわれるので、新井白石(1659~1725朱子學(xué)者)が『同文通考』で「國字トイフハ、
27、本朝ニテ造レル、異朝ノ字書ニ見へヌヲイフ。故ニ其訓(xùn)ノミアリテ、其音ナシ」(巻之四、凡例)と説くように、字形そのものは漢字にならって、日本であらたに造り用いた、いわゆる漢字もどきの文字のことである。國字は、本來、中國にないものの名や概念を漢字で書き表そうとする意図から生まれたもので、その造字は會意からなるものがほとんどで、訓(xùn)だけあって音のないのが普通である。」</p><p> 多分の國字は六書の會意による創(chuàng)造し
28、た。即ち二つまたはそれ以上の漢字や漢字の部品が組み合わせたことは一つ概念を示した。次は幾つか會意法で創(chuàng)造した國字を挙げた。</p><p> 「辻「つじ」は漢字部首の「走」と「十」を組み合わせて、「十字路」の意味を表す。</p><p> 込「こむ」は漢字部首の「走」と「入」を組み合わせて、「入る」の意味を表す。</p><p> 樫「かし」は漢字部首の「木」
29、と「堅(jiān)」を組み合わせて、「材質(zhì)が堅(jiān)い」の意味を表す。</p><p> 働「はたらく、どう」は漢字部首の「人」と「動」を組み合わせて、「労働、仕事」の意味を表す。</p><p> 凪「なぎ」は漢字部首の風(fēng)構(gòu)えと「止」を組み合わせて、「風(fēng)平らかで波靜か」の意味を表す。</p><p> 鴫「しぎ」は漢字部首の「田」と「鳥」を組み合わせて、「田んぼの鳥」の意味を
30、表す。</p><p> 上の述べた會意法以外は少數(shù)の國字が形聲法で創(chuàng)造された。次は幾つか形聲法で創(chuàng)造した國字を挙げた。</p><p> 塀「へい」は意味の記號「土」と音符「屏」を組み合わせて、「囲い、壁」の意味を表す。</p><p> 鋲「びょう」は意味の記號「金」と音符「兵」を組み合わせて、「畫鋲」の意味を表す。</p><p>
31、; 腺「せん」は意味の記號「月」と音符「泉」を組み合わせて、「人或いは動物の體內(nèi)の腺」の意味を表す?!?lt;/p><p> 會意法で創(chuàng)造された國字の読み方は訓(xùn)読で、ごく一部の文字が訓(xùn)読以外に音読もある。形聲法で創(chuàng)造された國字は音読だけである。また、極少數(shù)の國字は二つの漢字を組み合わせて構(gòu)成されて、そういう漢字も會意法で創(chuàng)造された國字だと言えるが、その他の會意法で創(chuàng)造された國字と違うことは、その読み方もその國字を
32、組み合わせた二つ漢字の読み方を組み合わせて、ある字の意義もその國字を組み合わせた二つ漢字の意義を組み合わせた。次は形聲法で創(chuàng)造した國字を挙げた。</p><p> ?麿「まろ」は漢字「麻」と漢字「呂」を組み合わせて、これは人名を使った文字だ。</p><p> 粂「くめ」は漢字「久」と漢字「米」を組み合わせて、これは名前と地名を使った文字だ。</p><p>
33、 杢「もく」は漢字「木」と漢字「工」を組み合わせて、「建具を作る人」の意味を表す。?</p><p> 日本の國字の組み立て法によって、日本人は漢字を自國の文字として受け入れたばかりでなくて、日本語を記録することに適応しなければならないので、漢字體の文字を創(chuàng)造した。それは日本國字である。中國の會意法の影響を大きく受けたので、絶対多數(shù)の日本國字は會意字である。</p><p><b&
34、gt; 2.3音聲への役割</b></p><p> 漢字の導(dǎo)入は日本に新しい音節(jié)を増やして、日本語の音聲系統(tǒng)を充実した。中國で漢字が大體に一つ字一つ音で、時代と地域によれば違ったが、歴史の連続性と一致性がある。しかし、日本は同じでなくて、漢字が外來から導(dǎo)入したので、日本人は漢字の形、意味を取って、漢字の音を処理した方面に伝わった時期と地域の影響を受けた。</p><p>
35、 「5世紀(jì)のとき、倭王様と東晉、劉宋密接に連絡(luò)して、都が建康「今の南京」に設(shè)立したので、日本に伝わった漢字は主に長江の下流の字音だった。かつてあそこは3世紀(jì)の呉の領(lǐng)地だったので、この時期伝わった読み方が日本人に「呉音」と呼んだ。呉音は変え経ったあと日本語の発音に適応した同時に、日本語の音聲システムも変えた。例えば、子音「m、r」が増えた。音の尾に「n」が増えた。日本語で表現(xiàn)できない音の尾「ng」は長い音になったが、音節(jié)內(nèi)における音の高
36、さの変化がなかった。7?8世紀(jì)に中國の文化中心が西に移したので、日本の遣隋使、遣唐使が都の長安に行って新しい音を連れ帰た。その音が呉音と區(qū)別するために、日本人がこれを「漢音」と呼んだ。日本語の音聲システムは漢字の発音の影響を受けたので、平安時代に日本語の中でもとのない促音、拗音と撥音が現(xiàn)れた。十四五世紀(jì)の鎌倉、室町に日本と中國の付き合いも盛んになってきました。中國の漢字が以前と比べて多い変化があって、禪僧と商人を中心にしてから勉強(qiáng)した江
37、南からの新しい音韻を「唐宋音」と呼んだ。その結(jié)果は一部の漢字の読み方は三つあった。例えば漢字「行」、この呉音は「ぎゃう」であ</p><p> 現(xiàn)代になって現(xiàn)代音がでてきた。中國は共通語を標(biāo)準(zhǔn)語として、導(dǎo)入した新しい音聲は共通語対応の法則に読んだ。例えば「炒飯」は「チャーハン」と読まれて、「麻婆豆腐」は「マーボーどうふ」と読まれて、「青椒肉絲」は「チャンジォロウス」と読まれた。</p><p
38、> この歴史の変化で、日本語の漢字の読み方が複雑になった。これを見てから、外來漢字の読み方の方面に、日本人は漢字そのものの読み方と仮名を利用して、日本語の発音として自然に変わられたことが分かる。日本人は単に漢字を吸収したことだけでなく、その発音も吸収して、それをうまく自分の言葉に運(yùn)用した。日本語が発音の方面で単調(diào)になっていった。日本人もお互いに交流がやさしくなった。</p><p><b>
39、3.漢字の影響</b></p><p> 3.1 漢字が日本文化への影響</p><p> 3.1.1日本文學(xué)からみる漢字の影響</p><p> ?漢字が日本へ伝わった後、日本文學(xué)の基礎(chǔ)を定めた。意識があって漢字で表現(xiàn)した日本の作品は日本の最初の文獻(xiàn)が「古事記」である。ある人は「古事記」の中でノ漢字の使用率の統(tǒng)計(jì)を詳しくとった。その結(jié)果は20回以
40、上現(xiàn)れた漢字が389字だことだった。日本の最初の抒情詩「懐風(fēng)藻」は漢文詩で、中國の古代詩の書式を採用した。一般的に言えば、「詩」とは「漢詩」であるが、「歌」は日本語で創(chuàng)作した詩であって、「和歌」と言われる。和歌この文學(xué)表現(xiàn)形式は早くから生まれていた。その創(chuàng)作で韻律の要求があって、漢字の音で表現(xiàn)して韻律の問題が解決されたことができった。8世紀(jì)の後半、大伴家持が整理した「萬葉集」に奈良時代末期「759以後」の作品4500ぐらい首があった?!?/p>
41、萬葉集」は漢字で日本の和歌を記録した。?</p><p> これを見てから、漢字が日本の文學(xué)創(chuàng)作に促進(jìn)していることがわかる。日本人は漢字でたくさんの作品を書いて、日本文學(xué)をもっと有利な方向に目指していた。同時に漢字の使用が広くなってきった。</p><p> 日本で中國の古典から出て、今は日常語になっているものが沢山ある。たとえば、「自己啓発」の「啓発」は「論語」の「啓せずんば発せず」
42、を縮めたものである?!竿觇怠工洹杆拿娉琛工狻甘酚洝工摔扦皮?。これを見るから、日本人は中國の古典文學(xué)をまねて日本文學(xué)を充実させた。</p><p> 3.1.2日本人の姓氏からみる漢字の影響</p><p> 日本人と中國人の姓は漢字で記録する。江戸時代に一般的に貴族と上流階級ばかり姓があった。明治8年「1875年」の大政官は庶民に姓があってしなければならない要求を公表した。そこで地
43、位をとって、商店名をとって、また漢籍仏典、什器、動植物、天體、方位、官職、古代の姓の中で選び取ったが、大部分は居住地或いは故郷の名である。だから、日本人の姓の最大特徴は居住地の環(huán)境特徴を取った。特別に「田」の漢字がった姓がもとっも多い。例えば、「山田」、「印田」、「治田」、「新田」、「柴田」、「蘆田」、「吉田」、「武田」、「位田」、「隠田」、「藤田」、「森田」、「花田」、「水田」、「太田」、「田中」、「田井」などなど。日本人の姓は充実に
44、日本の地形、稲作文化と日本人が自然を尊ぶ思想を反映した。</p><p> 「日本人の姓は十?dāng)?shù)萬があるが、日本の人口はただ一億ぐらいで、平均一つ姓がただ數(shù)百人に使われたということだ。最もありふれた姓が四十ぐらいで、その中で鈴木、佐藤、田中、山本、渡辺、高橋、小林、中村、伊藤、斎藤が人口の10パーセントを占めて、千萬ぐらいがあった。日本人の姓氏の數(shù)が多いにもかかわらず、その読み方と漢字の書き方で相當(dāng)に複雑だ。同じ
45、読み方の姓氏は漢字で書き方が十?dāng)?shù)があるが、同じ漢字はいくつかの読み方がある。例えば、ささきは以下のいくつ姓氏の読む方だ。佐々木、佐前、佐崎、佐々喜、佐々貴、陵、雀など。姓はことうを読んだ書き方が後藤、五藤、古藤、小藤などだ。」</p><p> これを見てから、日本人の姓の中での漢字は日本文化の擔(dān)體であった。漢字は日本人の姓の主要の物質(zhì)材料であって、漢字によって、日本の姓は日本文化の発展した過程で運(yùn)搬、伝播の工
46、具と役者を務(wù)めって、後世の人に日本の各時代の文化情報(bào)を渡している。日本人の姓の用字を通じて、中日両國の文化交流と影響の事実も見えた。</p><p> 3.2中國語への影響</p><p> 中國語が日本語に影響と比べて、日本語が中國語に影響が明らかにすずめのなみだ。古漢語が日本に伝わったことは日本の文字、音聲、語彙などの分野に大きな影響を與えた。しかし、その一方で、近年で日本語は中國
47、語が単語を?qū)雮?cè)に相當(dāng)の影響を発生した。80年代以來、改革放の政策により、中國と日本との交流が頻繁になり、日本に留學(xué)する中國人留學(xué)生、日本と貿(mào)易を行う會社などは、中日各方面の交流を推進(jìn)した。それによって、日本の文化、経済、社會生活などの言葉も絶えずに中國語に入ってきた。</p><p> ?日本語の逆輸入で、物事に対する呼び方が増えた。例えば、中國語で「トイレ」のことは「廁所」と呼んでいるが、日本語の逆輸入で、
48、「廁所」のほか、「洗手間」と「化妝室」ともいわれるようになった。</p><p> 古來、多分は日本が中國から漢字文化を?qū)Wんだが、今は中國が日本語の中で漢字表記を利用した意訳辭、自造語および古代中國語の外來語を中國語に移した。実はこの主に日本語の中での漢語彙で、その造語構(gòu)造と造語形式が漢語と同じ、中國には日本の先進(jìn)科學(xué)技術(shù)や管理方法などを勉強(qiáng)して導(dǎo)入した時、意識があっても意識がなくても日本の言語文化を連れて中國
49、に導(dǎo)入した。中國の新聞や広告の上でよく「日本料理、新發(fā)賣、景色、公害、新干線」などの単語が見える。また中國語にありがたちな「理發(fā)、公園、銀行、哲學(xué)、憲法」などの単語は日本人が作ったものだ。? </p><p> 日本語が中國語への影響で、実は日本人が漢語の特性を利用して、漢字を運(yùn)用して、中國語を基礎(chǔ)とし、漢字に逆吸収、逆帰納と逆総括を進(jìn)行した結(jié)果だ。漢字が中日両國の言語と文化の交流と発展することを促進(jìn)する。日本
50、文化の中で、相當(dāng)比率は中國の輸入や中國文化の受け入れを発展した。いま漢字の逆流した現(xiàn)象はこれらの漢字が中國文化の中に実質(zhì)の役割をさらさら影響しない。</p><p> これを見てから、中國人も外來文化を排斥しなくて、適切に運(yùn)用したことが分かる。その過程で両國の文化を伝わったことは漢字である。</p><p><b> おわりに</b></p><
51、;p> 中日は一衣帯水の隣國で、両國の文化の交流は悠久的な歴史をもっている。本文は漢字伝來の歴史を紹介し、日本言語學(xué)への役割を説明し、日本文化と中國語に影響を述べた。中國の漢字は日本語の表現(xiàn)と日本の文化に役立った。漢字およびそれを代表する言語の文化は計(jì)り知れない機(jī)能を発揮している。日本人は漢字をもとにした仮名を創(chuàng)造して、そして漢字の特徴によって「國字」を作り出した。日本は自分の言語があった。漢字の導(dǎo)入は日本に新しい音節(jié)を増やして
52、、日本語の音聲系統(tǒng)を充実した。日本人も漢字でたくさんの作品を書いて、日本文化をもっと有利の方向に進(jìn)められた。日本人の姓も漢字で創(chuàng)造した。日本人が創(chuàng)造した漢字も中國に伝來した。そして、中國でたくさんの漢字も日本の國字である。漢字が中日両國の言語と文化の交流と発展することを促進(jìn)する。漢字や中華文明と日本に離れにくいきずな縁を結(jié)んで、日本の各方面に考えることがない影響をもってきた。</p><p><b>
53、 參考文獻(xiàn)</b></p><p> [1] 杉木つとむ,『ことばの文化史』,櫻楓社,1979</p><p> [2] 佐藤喜代治,『漢字と日本語』,明治書院,1987</p><p> [3] 佐藤喜代治,『近世の漢字とことば』,明治書院,1987</p><p> [4] 石井勲,『漢字興國論』,日本語ライブラリ
54、ー,1992</p><p> [5] 佐藤喜代治,『現(xiàn)代生活と漢字』,明治書院,1997</p><p> [6] 王春(Wang,Chun).日中語彙の比較語彙論的研究[M],浙江:浙江大學(xué)出版社,2004</p><p> [7] 李月松(Liu,Yuesong).現(xiàn)代日語中的漢字研究[M].上海:上海外語教育出版社,1998</p>&
55、lt;p> [8] 劉元滿(Liu,Yuanman) .漢字在日本的文化意義研究[M].北京:北京大學(xué)出版社,2003 </p><p> [9] 瞿東娜(Qu,Dongna).日語語言學(xué)[M].北京:高等教育出版社,2006</p><p> [10] 劉元滿(Liu,Yuanman) .漢字在日本[M].北京:首都師范
56、大學(xué)出版社,2008</p><p> [11] 王秀文(Wang,Xiuwen).日本語言、文化與交際[M].北京:外語教學(xué)與研究出版社,2008</p><p> [12] 張威(Zhang,Wei).日本語言文化研究[M].北京:清華大學(xué)出版社,2008</p><p> [13] 李奇楠(Li,Qinan).日本語言文化研究[M].北京:學(xué)院出版社,2
57、008</p><p> [14] http://www.studa.net/hanyuyan/090714/10104657.html</p><p> [15] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97</p><p> [16]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A
58、5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%BC%A2%E5%AD%97</p><p><b> 本科畢業(yè)論文任務(wù)書</b></p><p><b> 日語</b></p><p> 日本語における漢字の役割と影響</p><p>
59、本科畢業(yè)論文開題報(bào)告</p><p><b> 日語</b></p><p> 日本語における漢字の役割と影響</p><p><b> 文獻(xiàn)レビュー</b></p><p> 日本語における漢字の役割と影響</p><p> 本研究を展開するため、日本語における漢
60、字の役割と影響に関するたくさんの資料を集めて、その中での本研究の參考になった観點(diǎn)について紹介したい。</p><p> 『漢字と日本語』、『近世の漢字とことば』と『現(xiàn)代生活と漢字』の編者は佐藤喜代治である?!簼h字と日本語』は1987年(昭和62)刊行で明治書院によって発行された。その中で日本語に対する漢字の影響、字訓(xùn)の変遷、日本人の漢字観や異體字などを紹介した?!航坤螡h字とことば』は1987年(昭和62)刊行
61、で明治書院によって発行された。その中で近世の漢字とことば、出版文化と漢字、俳諧の用字、川柳の漢字、文書の用字と用語などを紹介した。編者は近世の漢字の使用狀況と問題點(diǎn)に著目して、漢字が近世文化に影響を説明した?!含F(xiàn)代生活と漢字』は1997年(昭和62)刊行で明治書院によって発行された。そのなかで現(xiàn)代の漢字、映像文化と漢字、現(xiàn)代人の読み書き、手紙の漢字、広告の漢字、文化の漢字、現(xiàn)代人の漢字感覚と遊びなどを紹介した。その中で現(xiàn)代生活のさまざま
62、な場合で書字の特性を説明した。</p><p> 『漢字興國論』は石井勲の著書である。1992年(平成4)刊行で日本教文社によって発行された。その中で漢字は早くからの漢字教育は子供の能力を大きく伸ばす、外語人が高く評価する漢字などを紹介した。その中で日本人にとって漢字學(xué)習(xí)過程に遭遇した困難を説明した。</p><p> 『現(xiàn)代日本中的漢字研究』は李月松の著書である。1998年刊行で上海
63、外語教育出版社によって発行された。その中で漢字が日本に伝わる、日本明治以來の漢字教育、現(xiàn)代日本語漢字の字音、日本漢字の表意性と表音性、日本漢字の造語能力、日本の國字などを紹介した。そのなかで著者は現(xiàn)代言語學(xué)、社會言語學(xué)、情報(bào)學(xué)、伝播學(xué)、統(tǒng)計(jì)學(xué)などのいくつか新しい理論と研究方法を採用して、検討を進(jìn)めた。</p><p> 『漢字在日本的文化意義研究』と『漢字在日本』は劉元満の著書である?!簼h字在日本的文化意義研究
64、』は2003年刊行で北京大學(xué)出版社によって発行された。その中で中日両國漢字文化研究綜述、漢字文化東漸的過程、漢字が溶け込んでいる日本ぶんかの変種方式、漢字文化、中日漢字文化の意義が近代的での関連と影響などを紹介した。その中で漢字と日本の政治、社會などの分野の関係を分析して、従って、中國文化の束縛から離れて中國の漢字文化に相応する日本の漢字文化の特徴をはっきり浮き出した?!簼h字在日本』は2008年刊行で首都師範(fàn)大學(xué)出版社によって発行された
65、。本書では構(gòu)成篇、表現(xiàn)篇、文化心理篇、運(yùn)用篇を分類した。その中で作者は現(xiàn)代日本の漢字の特徴を重點(diǎn)に現(xiàn)れた。</p><p> 『日中語彙の比較語彙論的研究』は王春の著書である。2004年刊行で浙江大學(xué)出版社によって発行された。その中で意味分野別日中基幹語彙対照表、語素と語素コード、意味構(gòu)造分析、日中基幹語彙における同形語を紹介した。その中で作者は田島毓堂氏によって提唱されている「比較語彙論」に基づいて二言語語彙
66、の比較研究のじ実踐として、本研究は試みられたもどである。</p><p> 『日本言語學(xué)』は瞿東娜の著書である。2006年刊行で高等教育出版社によって発行された。その中で日本語概論と日本語研究を二つ章に分けた。概論章の內(nèi)容範(fàn)囲は狹義の言語學(xué)から広義の言語活動まで、學(xué)習(xí)者に日本語言語および運(yùn)用の基礎(chǔ)知識を提供できるだけ努めて、學(xué)習(xí)者に日本語言語の概貎を理解させて、言語的な素養(yǎng)を高めて、比較的な完備している日本語言
67、語體制を設(shè)立した。日本語研究章の內(nèi)容範(fàn)囲は伝統(tǒng)的な日本語研究、現(xiàn)代言語學(xué)の理論と関連の分野の研究を包括した。</p><p> 『日本言語、文化與交際』は王秀文の著書である。2007年刊行で外語教學(xué)與研究出版社によって発行された。その中で日本言語と交際、日本の敬語と交際、日本言語と非言語交際、日本言語と外來影響や日本言語と社會などの內(nèi)容を研究した。作者は中國の日本語界で日本社會の言語學(xué)を研究した先制者だった。こ
68、の本は一組言語、文化と交際関係を研究した著書としてはまだかなりシステムのだった。</p><p> 『日本言語文化研究』は張威の著書である。2008年刊行で清華大學(xué)出版社によって発行された。本書では採用された各國の専門家の論文を発表した。本書は多くの面にかかわって、まして比較的な深さと獨(dú)自の見解があって、中國の國內(nèi)や國外の日本言語の文化研究のレベルをある程度に代表した。</p><p>
69、<b> 參考文獻(xiàn)</b></p><p> [1] 佐藤喜代治,『漢字と日本語』,明治書院,1987</p><p> [2] 佐藤喜代治,『近世の漢字とことば』,明治書院,1987</p><p> [3] 石井勲,『漢字興國論』,日本語ライブラリー,1992</p><p> [4] 佐藤喜代治,『現(xiàn)代
70、生活と漢字』,明治書院,1997</p><p> [5] 王春,『日中語彙の比較語彙論的研究』,浙江大學(xué)出版社,2004</p><p> [6] 李月松(Liu,Yuesong).現(xiàn)代日語中的漢字研究[M].上海外語教育出版社,1998</p><p> [7] 劉元滿(Liu,Yuanman) .漢字在日本的文化意義研究[M].北京大學(xué)出版社,<
71、/p><p> 2003 </p><p> [8] 瞿東娜(Qu,Dongna).日語語言學(xué)[M].高等教育出版社,2006</p><p> [9] 劉元滿(Liu,Yuanman) .漢字在日本[M].首都師范大學(xué)出版社, 2008</p><p> [10] 王秀文(Wa
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